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おとせんコラム

これまでに40回近くも炎上してきた吉原。単なる火災ではなく、そこには多くのドラマがあった!?

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 『吉原炎上』という名作映画(1987年公開)があるが、吉原は、これまでに何度も火災の被害に見舞われている。元吉原時代まで含めると、なんと36回も、火災が発生しているのだ。

 吉原遊郭の誕生は1618年のことなので、平均すると十数年に一度くらいの割合で火災が発生してきたことになる。しかも36回のうち22回が全焼。凄まじすぎる。

 江戸時代には、「火事と喧嘩は江戸の華」などと言われていたので、吉原に限らず、江戸市中では、頻繁に火事が起こっていたようだが、それにしても吉原の火災回数は多い。間違っても、“華”などと暢気に言ってはいられない。

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 なぜゆえに吉原でそこまで多く火災が起こったのか? それは、吉原の遊女という仕事が非常に過酷であったため(おそらく)。

 女性としては、身を売るだけでも大きな精神的なダメージを受けるものだが、吉原はしきたりだけでなく、上下関係も非常に厳しく、なかなか心が休まらない。さらに、当然ながら、今に比べると医学はさして進歩しておらず、常に性病感染の危機に晒され、特に梅毒になってしまうと、当時はまだペニシリンという特効薬がなかったため、病に苦しみながら、やがて死を迎えることしかできなかった。

 親の目を 盗んだ息子 鼻が落ち

 なる川柳が江戸時代に流行ったりしたようだが、“鼻が落ち”とは梅毒の第4期の症状。梅毒の第3期の症状であるゴム腫(腫瘍。しこり)が鼻骨にでき、それが崩れると、“鼻が落ちた”と表現されたようだ。そこまで行ってしまうと、もう死は目の前。最終的には、脳、脊髄、神経を侵され麻痺性痴呆、脊髄瘻を起こし、死に至る。梅毒は、凄まじく恐ろしい病だったのである。

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 いずれにしろ、吉原の遊女という仕事は、精神的にも肉体的にも非常に過酷。それゆえに、つらさに耐えかねて火をつける遊女が出てきたとしても、何ら不思議ではない。

 ちなみに、放火というものは、今に限らず昔も重罪で、当時は、たとえボヤで済んだとしても、火罪(火あぶり)になるのが普通。しかしながら、遊女の場合は、情状酌量の余地があるとして、島流しで終わることが多かったようだ。

 遊女のつらさは、お上もよく理解していた、ということなのだろう。

19/05/09 10:16:28


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