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おとせんコラム

江戸時代初期に誕生した葭原(吉原)。一箇所に腰を落ち着けて営業を続けたい遊女屋経営者たちと、上納金の徴収と遊女屋管理の簡略化を目論んだ幕府の思惑が一致!?

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 吉原の歴史は、約400年。1617年に、庄司甚右衛門を代表とする遊女屋の経営者たちに、江戸幕府が、江戸では初となる遊郭「葭(ヨシ)原」の設置を許可したことから始まった。

 当時の幕府のトップ(征夷大将軍)は、徳川秀忠。江戸幕府を開いた秀忠の父である徳川家康は、もともとは駿府を拠点としていたが、豊臣政権下の1590年に江戸に入府。それから13年後の1603年に、後陽成天皇から征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開き、それ以降、家康は江戸の都市整備を推進。関東一円から人足を集め、多くの家臣団とともに、都にふさわしい街作りを急ピッチで進め、さらに、1615年に大阪の陣によって豊臣氏を滅亡に追い込み、その翌年の4月に、生涯の幕を閉じていた。

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 そんな状況下で、庄司甚右衛門らは、1612年に遊郭の設置を幕府に陳情(当然ながら、その当時は、家康は存命)。幕府にとっては、遊郭などには構っていられない状況にあったわけだが、幕府公認の遊郭を作れば、遊女屋から冥加金(上納金)を受け取ることができ、かつ遊女屋を一箇所に集めることにより管理(取締り)も容易になる、という利点があったため、庄司甚右衛門らの陳情を受け入れ、江戸初の遊郭「葭原」の誕生となった。

 しかしながら、幕府の目論見通りには、事は運ばず、「葭原」が設置されてからも、違法(もぐりの)遊女屋が何度も現れ、その取り締まりに苦慮することとなる。

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 ちなみに、「葭原」とは、“葭(ヨシ)の生えた原っぱ”という意味。幕府が遊郭の設置用に庄司甚右衛門らに与えた土地は、現在の日本橋人形町付近にあり、当時そこは海岸に隣接し、ヨシがよく茂っていたことから、遊郭の名が「葭原」となったとされている。

 いずれにしろ、吉原は、1617年に、現在の日本橋人形町付近で誕生。吉原のソープランド街がある台東区千束四丁目付近に移転したのは、1657年の明暦の大火後のことであるため、吉原が誕生した日本橋人形町付近を“元”吉原、現在ソープランド街となっている台東区千束四丁目付近を“新”吉原と分けて呼ぶこともある。

19/09/11 11:52:31


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