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おとせんコラム

ソープランドの歴史を変えた“泡踊り” その考案者は、「堀之内の高級ソープランド『川崎城』に在籍していた浜田嬢」が定説!

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 今回は、“泡踊り”について語らせていただく。ただし、その前に、ソープランド(トルコ風呂)の歴史について、今一度おさらいしてみたい。

 ソープランド(トルコ風呂)の歴史は、約70年(国内初のトルコ風呂店が誕生したのが1951年)。

 ただし、現在のソープランドと類似のサービスが提供されるようになったのは、1960年代の後半以降。ソープランドの前身であるトルコ風呂(初期)のサービス内容は、健全なマッサージであったので、自由恋愛などとは無縁なことはもちろん、最初の数年間は、エッチなサービス自体がなかったのである。

 しかしながら、超薄着の女性にマッサージをしてもらっていたら、男性の下半身が反応してしまうのは致し方ないこと。となれば当然、「もう少しお願い。気持ちよくして」ということになり、そのニーズに応えるために、スペシャルなマッサージサービス(簡単に言えば、手コキ。通称“おスペ”)を提供するトルコ風呂店が増えていき、さらに、1958年に売春防止法が施行され、赤線や青線の関係者がトルコ風呂業界に続々と参入という事態が起こり、トルコ風呂店のサービス内容が過激(濃厚)化。その結果、それまで「個室付き特殊浴場」と規定され、公衆浴場法で管理されていたトルコ風呂は、1966年に風俗営業法の適用を受けることになる。

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 というわけで、1960年代の後半になると、ソープランド(当時の呼び名は、まだトルコ風呂)は、風俗業の一種になり、夜の世界における存在感が増大。さらに、1969年に堀之内で画期的なマットサービス“泡踊り”が考案され、男性客の満足度まで大きく上昇することになり、ソープランド人気が決定的なものになった。“泡踊り”の登場により、ソープランドは、『風俗の王様』の地位を確立することになったのだ。

 ちなみに、“泡踊り”が、なぜゆえに吉原ではなく、堀之内で生まれたのかと言えば、それは単なる偶然ではなく、確かな下地があったようだ。

 1958年に売春防止法が施行されると、吉原にも30軒ほどのトルコ風呂店が誕生。それから数年の間に、都内のトルコ風呂店の数は200軒近くにまで増大。しかしながら、1964年に開催された東京オリンピックの影響で、警視庁による都内風俗店の規制が強化され、それが、東京から少し離れた堀之内(川崎市)の躍進のきっかけになる。

 景気のいい場所には、いい人材が自然に集まるものなので、当時の堀之内の嬢は逸材揃い。その中には、当時、『川崎城』という名の高級トルコ店に勤務していた浜田嬢なる女性がいた。その浜田嬢こそ、“泡踊り”の考案者とされる伝説の泡姫。東京オリンピックによる風俗規制という事情がなかったら、浜田嬢は、堀之内ではなく、吉原を選び、そこで“泡踊り”が生まれていたのかもしれない。

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 いずれにしろ、“泡踊り”は、1969年に堀之内で生まれた。ただし、『川崎城』の浜田嬢が考案者という説には異論もあり、『堀之内倶楽部伝言板』(https://ameblo.jp/cat-utopia/)の「『泡踊りは世紀の大発明』 ⑥」という記事(https://ameblo.jp/cat-utopia/entry-10033870548.html)では、


 風俗評論家の広岡敬一氏の著書によると「川崎城」の浜田嬢が編み出した技ということになっていますが、私のリサーチでは、「ハワイ」という南国風のトルコ風呂にいた薔薇嬢が生みの親なのです。いずれにしても、発祥地が堀之内で、発生が1969年だったことにおいては一致しています。


 と記されている(それ以下の文章に、さらに詳しい説明あり)。



 なので、「“泡踊り”の考案者は、1960年代の末に『川崎城』に在籍していた浜田嬢!」と断言するのには難しい面もあるようだが、浜田嬢が非常に優れた接客術を有していた伝説的な姫であったことは、間違いがない。無論、『ハワイ』に在籍していた薔薇嬢も。

 ちなみに、“泡踊り”の考案者としてその名が挙げられることが多い浜田嬢は、『川崎城』勤務時代に得たギャラを元手に数軒のトルコ風呂店を開業して経営。しかしながら、1975年に男女関係のもつれから自殺をしてしまったらしい(享年25)。

19/11/14 12:44:54


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