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おとせんコラム

実に20度以上も火災に見舞われた吉原遊郭。その最大のものは、1911年の4月9日に起きた吉原大火!

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 約400年の吉原の歴史の中で、最大の事件と言えば、1911年(明治44年)の4月9日に起きた大火災(吉原大火)ということになるだろう。

 とは言え、吉原の炎上事件は、この時が初めてではなく、何度も起こっていて、1657年に、吉原が日本橋から浅草(厳密に言うと千束)に移転されることになったのも、同年の3月に起きた大火災(明暦の大火。通称「振袖火事」)がきっかけだった。

 しかしながら、1911年の吉原の火災は、消化するまでに10時間もかかり、最終的に6500戸を焼失させた(当然ながら、吉原の遊郭街は壊滅)、まさに“大火災”であったため、後に映画化(1987年に公開された『吉原炎上』)もされた。

 気になるその火元は、美華登楼とされているが、詳細は不明。同年の6月に開廷された公判では、失火の罪に問われた、その当時に美華登楼で娼妓をしていた勝俣フユジ被告(25)が、「事件当日は、火災が起きる2時間以上前の午前9時頃から昼寝をしていた。眠る前に、火鉢の火は消えていた」と弁明。その結果、同月27日の判決で、勝俣フユジ被告は、証拠不十分で無罪となった。

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 出火原因の詳細は不明なれど、これが吉原遊郭史上の最大火災であったことは、紛れもない事実。昼間の火災ということで、火事の規模の割には、犠牲者が少なかった(死者8名と発表された)ことが、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

 ちなみに、『営業ノルマに苦悩、遊女たちを恐れさせていた江戸時代のイベント』(https://news.livedoor.com/article/detail/9374947/)という記事によると、吉原で起きた火災の数は、なんと27回もあったとか(以下引用)。


「しかし、遊女たちをもっとも困らせたのは、頻発する火事でした。江戸時代で250年近くの吉原の歴史の中で27回ほど、つまり9年に一度は必ず大規模な火事が起きており、そのうち19回ほどが吉原全焼です。火元は遊郭での不始末だったり、遊女が逃げ出したくてした付け火だったり色々あるんですけどもね。

1864年と1866年には年に2度も大火事が起きており、吉原はとにかく炎上しすぎなのでした。遊女の吉原暮らしはお客との関係の他にも、苦労が多かったのですね!」


 ということなので、吉原は、まさに、“火災の多発エリアだった”と言っても、差し支えはないだろう。

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 最後に、吉原で火事が頻発した事情に関して、もう少しだけ記させていただく。

 1911年の大火の際に、失火の罪に問われた勝俣フユジ氏は、美華登楼で働いていた娼妓であった。その際には、証拠不十分で無罪という結果が出たが、過去には、遊女による放火が原因と断定され、罰として流刑(島流し)になる者も少なくなかった。

 遊女たちの放火の動機は、「遊郭での厳しい生活に耐えかねて…」というものが多く、それ故に、本来は、放火の代償は「火罪」(「火あぶりの刑」)であったのに、情状酌量という見地から「流罪」に減刑されることが多かったらしい。

20/01/14 01:29:23


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