紳士のための首都圏ソープランド情報

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おとせんコラム

吉原の誕生は江戸初期で、ソープランド街となったのは、戦後しばらくして、十数年経ってから。長い歴史の中で、多くの男女が出会い、自由恋愛を楽しんできた!?

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 日本一のソープランド街である吉原が、かつては、江戸幕府公認の遊女屋が集う、日本で最大級の遊郭(吉原遊郭)として名を馳せていたことは、あまりにも有名。吉原は、江戸時代の初期から現在に至るまで、美しい女性たちと自由恋愛が楽しめる魅惑的な街として、世の男性たちに愛され続けてきたわけです。

 そもそも吉原にどうして遊郭が形成されたのか? その理由はズバリ、当時、遊女屋を営んでいた庄司甚右衛門という人物などが、遊廓の設置を幕府に願い出たため! とは言え、その申し出は、すんなりと受諾されたわけではなく、最初の陳情では、あえなく却下されてしまったようです。遊郭というものは、現在のソープランド街と同じように、大人の自由恋愛が楽しめる場所であったため、おそらく風紀上の理由で、そういった陳情は、簡単には通してもらえなかったのでしょう。

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 とは言え、「遊女屋があちこちに散らばって営業をしているより、一箇所に集中していた方が取り締まりがしなやすい」といった事情などもあり、最初の陳情から5年ほど経過した慶長17年(1612年)に、庄司甚右衛門をはじめとする遊女屋経営者たちの二度目の陳情が、今度は受諾され、それから5年後の元和3年(1617年)に、新たに誕生した吉原遊郭で多くの遊女屋が営業を開始。
ただし、当時の吉原遊郭があった場所は、ソープランド街が現存している台東区の千束(浅草寺の裏手付近)ではなく、日本橋の葺屋町(現在の日本橋人形町)。吉原遊郭が台東区の千束に移転したのは、1657年(明暦3年)のことで、明暦の大火で当時の吉原遊郭が消失してしまったことが、台東区の千束に移転する、大きなきっかけになったようです(「江戸の中心街である日本橋に、遊郭はふさわしくない。不適当だ」という声が、明暦の大火以前から上がっていた、という事情などもあり)。

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 いずれにしろ、1657年に吉原遊郭は、今は日本一のソープランド街となっている台東区の千束に移転。それから350年以上もの長きに渡り、明治以降は歴史の波にもまれて少しずつ形を変えながら、大人の男女が集う夜の社交場として、生き続けてきました。現在、吉原には、約150のソープランド店があり、1年365日、多くの男女の出会いが生まれています。

18/12/12 10:16:18


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